【2705】大戸屋ホールディングス お家騒動の悲しい結末

大戸屋 お家騒動

大戸屋のお家騒動はあまりにも悲しい顛末になりました。

会社は家族みたいなものと考える人もいますが、別の対応がなかったのか残念です。

目次

創業主の沿革

創業主は三森 栄一氏で大戸屋食堂を開店し、人気を博すが1979年に他界する。

長男の三森 久美氏が事業を引き継ぎ「株式会社 大戸屋」を設立する。

海外事業も展開しつつ、事業の拡大を図っていく。

大戸屋という意味では、三森 久美氏が創業主という見方もできる。

その後の体制

会長は三森 久美氏が務め、社長は窪田氏が務めています。親族の人ではありませんが、会長の右腕的な存在です。

息子は三森 智仁氏で若年ということもあって実績は特にありません。

お家騒動が勃発

順風満帆な経営を行っていた大戸屋ですが、悪夢のような転機が訪れます。

順を追ってみていきましょう。

会長の急逝

大戸屋を設立した会長の三森 久美氏はが57歳という若さで急逝しました。会長は息子を社長にする考えを持っていたようですが、20代という若さがネックだったこと、急逝という関係もあり、後継者についての文章などは残していませんでした。

創業家の主張

故会長の妻は、息子の智仁氏を社長にすべく進言するも、現社長の窪田氏に却下されます。

そして窪田氏が取った行動が、智仁氏の海外異動の人事権行使です。

父が亡くなって間もなく、相続の整理もついていないため息子の智仁氏は激怒し、両者の溝は深まる一方になりました。

功労金問題

故会長の久美氏は、先が短いことを医師に告げられていたため、相続の対策を講じようとしていました。それが功労金というものです。ここで言う功労金とは、創業家にボーナスを支給することを指します。

創業家は相続を受けるために莫大な相続税を支払う必要があるため、功労金を用いて充てようと考えたが、会社の経営状況やメインバンクからの承諾が下りず頓挫しています。

功労金が得られないと株式を売却して相続を受けなくてはならないため、創業家の「持ち株比率」が低下することになります。

その思惑自体が社長の窪田氏と銀行にあったかは定かではありませんが、故会長の妻と息子はより不信感を募らせることになります。

解決せず

その後の経過としては、窪田氏がそのまま社長を継続し、創業家との溝は深いままと何とも後味の悪い形のままとなってしまいました。

事業継承の難しさ

なんかぐちゃぐちゃな話ですが、どちらの対応も悪い方向に向かってしまいました。

創業主がしっかりと後継者問題を片づけておけばこんな問題にならず、大戸屋ほどの大企業なら相続に長けている公認会計士の人もいたことでしょう。

急逝とはいえ、医師から先は長くないと告知もあったのですから・・・。

色々な思惑があると思いますが、後根を残さないようにするって難しいですね。

経営者側の信頼関係

経営者側も創業家に対して結構な仕打ちをしているのが分かります。

功労金を支払わない=創業家の持ち株比率の低下

意図はどうであれ、別の見方をすると会社の乗っ取りに繋がります。日本人は特にそういうのは好みませんよね。どちらかというとホワイトナイトであって欲しいものです。

さらに表面上は「勉強のため」や「修行のため」とのことで海外勤務を命じたようですが、外部から見ると明らかに左遷です。

ただ、反対の面で考えることもできます。

故会長の息子にはカリスマ性が感じられなかった。

個人的には、ゼロから創り上げた創業主と、必死にかじ取りをした現社長は

それなりの信頼関係はあるでしょうし、会社の従業員も守る責務も担っています。

大戸屋の社員数589名(2016年3月末時点)を路頭に迷わせるわけにもいきませんから、苦渋の決断で息子さんには時間を置いて経営のノウハウを掌握して、さらなる飛躍を遂げてほしい。って思いもあったのかもしれません。

後から言うのは簡単で、綺麗事にはなりますが、家族問題というのはいつの世も悩ませてしまいますね。

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